【戌🐕亥🐗年生まれ】の方の守護尊は
鎌倉長谷はせの大仏「阿弥陀如来 (あみだにょらい)」です🪷
一生 守ってくださる仏様💞
私の守護尊は鎌倉の大仏だったのね🙏
小学校の遠足で、初めて出会った気がします🤓
子🐁年は千手観音菩薩
丑🐄寅🐅年は虚空蔵菩薩
卯🐇年は文殊菩薩
辰🐉巳🐍年は普賢菩薩
午🐎年は勢至菩薩
未🐏申🐒年は大日如来
酉🐓年は不動明王
戌🐕亥🐗年は阿弥陀如来です🦉
戌🐕年:2018年、2006年、1994年、1982年、1970年、1958年、1946年、1934年
亥🐗年:2019年、2007年、1995年、1983年、1971年、1959年、1947年、1935年生まれ
阿弥陀如来🪷信仰は、平安時代後期に貴族🫅から広まった。
御利益で『死後は 極楽浄土🌼に往来 (行き来) できる』
『現世安穏 (げんせあんのん😸無事に平和に暮らす)』とされる。
無限の寿命を持つから別名「無量寿如来むりょうじゅにょらい👴」
『無限の慈悲心💖を持ち 一切の苦難厄難💣から開放
延命長寿👴の御利益もくださる』
命あるものすべて🐜を救うべく誓いを立て 極楽浄土に導く🫶
限りない光 (智慧) ✨と限りない命👶を持って人々を救い続ける
「西方 極楽浄土」を建て🌼そこに住む教主 (きょうしゅ:
釈迦が教えを説く娑婆しゃば世界 (この世) 以外の仏の世界に住む仏)。
四十八願 (しじゅうはちがん:
阿弥陀如来が法蔵菩薩 (修行時代) の頃「一切の衆生を救うために立てた48の誓願」)
誓いを立て、
「南無阿弥陀仏:私は阿弥陀仏に帰依 (心から信じ委ねる) します」
と唱えた人々を極楽浄土へ導く🤝
四十八願の1つ
『他力本願:阿弥陀様にすがって極楽に行こう🙏』という意味。
阿弥陀 三尊として聖しょう観音(観音菩薩かんのんぼさつ) と
勢至菩薩 (午年の守護) と並ぶ姿が多い。
二十五菩薩を従え、雲🌥️に乗って往生者を迎えにくる。
「来迎の様子👐」をあらわす場合もある。
阿弥陀二十五菩薩 來迎図らいごうず
釈迦如来と同じく装飾品は無い📿
「来迎印らいごういん:信者が臨終 (りんじゅう) の際、
阿弥陀様が極楽浄土 (ごくらくじょうど) から
迎えに来るときの印契 (いんげい)」は
「極楽浄土
(煩悩や穢れの無い、仏様・菩薩様が住む清浄な国土🌸
阿弥陀如来のいる浄土「極楽浄土」「西方極楽浄土」)
に迎えに来た」ことを意味。
阿弥陀如来は
菩薩だが大願を成就して『如来』になる時、
衆生が救われる。
鎌倉の大仏 (鎌倉大仏殿高徳院) :国宝 銅造 阿弥陀如来 坐像
鎌倉時代 (1252年) に造られ始めた。作者や完成年は不明。
制作に僧浄光が勧進した浄財が当てられたと伝えらる。
大仏殿は台風や大津波のため倒壊し、
室町時代の末「露坐 (屋根のない場所に座る、屋外に安置された仏像)」になった。
長野の善光寺:
「一光三尊いっこうさんぞん阿弥陀如来」が本尊、
「善光寺如来」とも呼ばれる。
三国伝来の日本最古の仏像と言われる。
「善光寺 縁起」によると「善光寺如来」は
日本に来て約100年後🗾
長野に運ばれて約10年後
自身のお告げで お隠れになった🥷
1度/7年の御開帳でも姿を見せず、
善光寺 本堂 奥の厨子 (ずし:仏像や経典などを納めておく戸棚) 中に安置。
(御開帳で公開されるのは本尊を
模鋳(もちゆう:真似て鋳造)した「前立本尊」))
本尊は「絶対秘仏🙊」善光寺僧侶も見たことがない🙈
京都の平等院 鳳凰堂:十円玉の「表」に刻まれている🪙
国宝:阿弥陀如来 坐像 (木造)
平安時代の仏師 定朝 (じょうちょう) が制作した代表作
現存する唯一の確実な作品。
日本独自の仏像様式:
「定朝様式 (日本人好み):頬 丸く、穏やか、自然で整ったプロポーション☺️」
を完成した。
京都の永観堂禅林寺:
「みかえり阿弥陀」
振り向く姿勢は「衆生を案じる阿弥陀の慈悲の心💖」を表す。
東大寺宝蔵に秘蔵されていたが、永観が拝し🙏尊像の声を聞いた🧏♂️
「衆生済度 (しゅじょうさいど:迷いの苦しみの中の一切の生き物を救い 悟りの世界へ導く)
こそ仏の本願、宝蔵にしまうのはもったいない😣」と嘆いた。
白河法皇🫅が聞き「永観が護持 (守り保つ) し供養🙏」となった。
永観が東大寺 別当職を辞して尊像を背負って京に入る際🎒
東大寺の僧が取り戻そうと京都の木幡 (宇治) まで追いかけ🏃🏃♀️🏃♂️
尊像は永観の背に付いて離れず🤱僧たちは諦めた😭
永保2年 (1082年) 永観50歳頃、堂で行道
(ぎょうどう:僧が列を組んで読経しながら堂内を巡る) していた。
須弥壇 (しゅみだん:像を安置) にある
阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめた🚶♀️➡️
阿弥陀は左肩越しに振り返り🙂↔️「永観 遅し」と声をかけた。
永観は「尊く慈悲深い姿を後世に伝えたい」と願い🙏尊容 (顔・姿) を伝える。
京都の浄瑠璃寺:
奈良との県境付近は東西に 二分され西は浄瑠璃寺中心。
寺の縁起は「奈良時代に聖武天皇が僧行基に命じて建立」
「浄瑠璃寺流記事 (重要文化財)」は
「永承2年 (1047年) 当麻の僧 義明が薬師如来を安置して開基。
寺の名は、東方 浄瑠璃浄土の主「薬師瑠璃光如来」に因んだ。
平安時代末期「国宝:九体阿弥陀仏」を安置する阿弥陀堂建立、
庭園 (史跡・特別名勝) 整備。庭園は「極楽浄土」を表現。
死後に清らかな世界「浄土」への往生を願う「浄土思想」。
宝池の東岸に此岸(しがん)「現世」を表現。
石灯籠付近に彼岸 (ひがん) 「来世」。
梵字の「阿字 (𝑎) を表す「物事の始まり 根本 不生不滅の真理」
密教は「宇宙の根源」「大日如来」を象徴」をかたどった宝池中心、
西に本堂「九体阿弥陀仏」安置、東に「三重塔・薬師如来像」を祀る
国の「特別名勝1/36箇所」指定。
ご真言:オン アミリタ テイセイ カラ ウン
いやぁ、仏像、知ると面白いですね。
みかえりは、カワイイし、永観の背中から仏像が離れなかったって、ホンマかいな😄
九体阿弥陀仏、いつか会いに行きます🚄
言いたいこと、話したいこと、何でもどうぞ🤗
埜乃やつで